Bella Coola, BC – 急斜面に挑む滑り手たち

2020年3月11日、世界中でコロナが蔓延し始めニュースを見れば感染者数が常に画面の端に流れている状況だった。カナダ西海岸は比較的に厳しいルールができておらず、まだ人々は外で遊び、規制に縛られることはなかった。

僕はそんなことよりもう始まっている撮影のことで頭が一杯。今回向かったのはBC州の海岸線沿いにある小さな町Bella Coola、僕の住む町スコーミッシュの山のスケールを10倍にして、人口は10分の一にしたような町だ。自然が好きで不便な生活が苦にならない人だけが住める町と言ってもいいだろう。大きなお店やお洒落なカフェは一切無く、寂れたカフェとペンキの剥げた外壁が目立つ建物が立ち並ぶ町並み。至る所に先住民族のアートが描かれていた。住んでいる人も先住民族の人が多く、白人の町という雰囲気ではない。
Bella Coolaに行く方法は2つ、内陸側からHWY20を運転してくるかフェリーでVancouver Islandからやってくるどちらか。船旅も魅力的ではあるが、今回は目的が『ある急斜面』をいいコンディションで滑る。と言うことだったのでコンディションに合わせて動くため時間に猶予は無く、最短時間でいける方法のHWY20を通ってきた。最短時間と言っても約1000kmの道のり、一部は舗装されていない道なので12時間以上はかかる道のりだ。スコーミッシュを出発した僕は、Kamloopsでスキーヤーの植木鹿一と合流。彼こそが今回の旅の発案者で、主役となる滑り手だ。合流したあとは彼の車に乗り合わせ、2人で運転をしながらBella Coolaを目指した。HWY20に入ると道は急に荒れ始め、舗装された道も穴だらけ。油断をすれば大きな石を踏むか穴にハマりタイヤがパンクするような状況。スピードは出さずにゆっくりと確実に進んで行く。


もしこのブログを読んで、行きたいと思った人のために助言をしよう。HWY20はWilliams LakeとBella Coolaを繋ぐ500kmのハイウェイ、道の標高は800mから1400m。その大半が何もない台地で、天気が荒れれば横殴りの風で何も見えなくなる。もちろん街灯なんてものは一切ない。HWY20に入るときは車のガソリンタンクは絶対に満タンにすること、できれば予備タンクを持っていてもいいだろう。そして朝のうちに運転し始めることを勧める。暗くなれば道路上にある石や穴も見えないし、動物と衝突する可能性もかなり高くなる。携帯が通じないので車の故障は命取りにもなり得る。そしてBella Coolaに夜についてもどのお店も空いていない。絶対に日中に運転しろ!とは強制するわけではないが、無駄な労力を避けたければ僕の助言を聞いた方が良いだろう。
さて話は戻り、鹿一と僕はBella Coolaに到着。そしてその翌日にRevelstokeとFernieからやってきたChuck、Calebと合流。今回の撮影が初対面となる3人、チームワークが試されるトリップにもなる。
ダウンタウンのCumbrian Innに宿泊し、初めて会う仲間と挨拶を交わしロープワークや雪のコンディションなど入山前の確認を済ました。そんな中テレビを付けると世間はコロナの話題で忙しそうだった。カナダ首相のワイフがコロナに感染して入院、首相は大事をとって自宅待機でリモートワーク。一体どうなってしまうのだろう、と笑いながら話し出発の時を待った。

ヘリで入山予定の朝、ヘリを飛ばしてくれるBella Coola Heliへと向かう準備をしていた。前日からのアークティックフロウで深い谷間が爆風に襲われており、ボロボロの家々は今にも吹き飛びそうな状況。そして鹿一の車に荷物を積んでいて違和感を感じた、車の車高が明らかに前日より低い。不審に思い車をチェックするとタイヤがパンクしていた。ヘリが飛ぶ時間も迫っており急がなくてならない。冷たい風が吹く中、車をジャッキアップして予備タイヤに付け替える。1時間は遅れをとってしまった。急いで宿を出発してヘリロッジへと向かう。しかし、ダウンタウンを出てすぐに僕らは車を止めた。ヘリロッジに続く唯一の道が土砂崩れで塞がれていたのだ。爆風で道路脇にある森の木が折れて、道路を塞いでいる。車が数台被害にあったようで、現場には救急車も来た。僕らはダウンタウンに戻り、唯一のダイナーに入った。中には同じようにダウンタウンに閉じ込められた人たちが沢山いた。どうしようもないのでヘリロッジに状況を説明し、朝食とコーヒーをオーダーして道が開通するのを待った。
一体何時間待っただろう。昼も過ぎた頃にやっと道路が通れるようになり、急いで車を走らせた。ロッジに着いたのは午後3時、本当に出発できるだろうか。全員が大きな不安を抱えながらパイロットやロッジのスキーガイドたちに話を聞きに行った。そして僕たちが得た情報は良いものではなかった。この爆風の影響でこのエリア全体の雪がもうダメかもしれない、と言うものだった。大きな谷に接する斜面は確実にダメだろうとの事、そして僕らが狙う斜面はなんとかその条件からは外れている。しかし、森の木々が倒されるほどの爆風。アルパインエリアではその数倍もの風が吹いていたと予想される。できるだけ多くの人に話を聞いたが、答えは「分からない」だった。あとは僕らが、「とりあえず行く」と言う判断をするかやめるかのどちらか。そして僕らは行くことを決意した。
ヘリが飛んだのは午後4時30分、この日はベースキャンプの設営をして翌日からすぐに動けるように備えた。
そして3月15日の朝、日の出前に起きて斜面を登る準備。朝食を取りながら目的の斜面、Morrison’s Hotelが朝日に照らされるのを眺めた。なんと綺麗な斜面なんだろう。そしてこの超急斜面を鹿一、Chuck、Calebの3人が滑るのかと思うと興奮してきた。どうやって撮影しよう。どこから撮ろう。たくさんのことが頭の中に浮かんでくる。さぁ、遂に始まった。

前日までの爆風を懸念してこの日は斜面チェック、天気は良く雲もほとんどない快晴。全員でベースキャンプを出発して、斜面トップへと続く支尾根に向かって歩いた。できるだけスキンで歩き、支尾根に乗ったところでアイゼンを付けて直登を始める。斜度が急になってきたところで一度止まり、ピットチェックを行った。2人で一つ、合計二つのピットを掘り斜面の状況を判断。前情報とは裏腹に良い結果がでた。そして登坂を続行し、メイン斜面の滑り出しに続く稜線上に着いた。流石に稜線上は風の影響を受けていたが、そこまで悪くない。そして滑り出しのポイントまで歩いて行く。崖のように急な斜面は上から見ても何も見えない。ジェットコースターが最高点に達した時の眺めと一緒だ。数メートル先までは見えるがその先は無い。
そして滑り手各々が斜面を入念にチェックする。この段階で触れる、もしくは見える場所の雪は風の影響を受けていて良い状態ではない。そしてそれが斜面全体に続いていると考えるととても滑れる状態ではないと全員が考えた。ChuckとCalebは躊躇している、鹿一は自分が滑ろうとしていたスパインへの入り口上部で下を見ながら黙っていた。僕は何も言わない、もちろん滑って欲しいとは思っていたが僕が決める事ではない。滑り手たちに全てを託し僕は待つ。全員がもう一度集まり、それぞれの意見を交換し合う。そしてCalebは滑らないという決断をした。彼はフリーライドの大会にも出た経験があり、スキーは上手い。しかし自らの判断で雪山と向き合うという経験はまだ浅く、しかも過去に大きな雪崩にあったこともある。Chuckもその判断に賛成するように、滑らないという方向で話が進んでいた。黙っていた鹿一が口を開く。。。「滑る」、そう言ってみんなの顔を見た。風の影響を受けていると言っても完全に滑走不可能というわけでもない。鹿一はその微かな可能性にかけてMorrison’s Hotelを滑る覚悟を決めた。もちろん初めは慎重にいき、実際に斜面に入って不可能だと思えば行き過ぎずに引き返すと言った。それに続いてCalebとChuckは鹿一の滑った情報を元に滑走するかしないかを決めると言い、鹿一に全てを託した。こうして僕らは偵察を終えて、来た道を戻りベースキャンプへと戻った。
3月16日朝5時、月明かりだけが辺りを照らすなか準備を始める。静かに準備を進める滑り手たち、僕は邪魔をしないようにその様子を写真に収める。斜面が見えるベースキャンプは撮影する僕にとっては良いが、滑り手にとってはそれなりのプレッシャーのようにも思える。命を賭けて滑るような斜面が四六時中目の前にあると逃げる事もできないだろう。もちろん向き合って解決しなければ行けないのだが、こうも上から見下されると心が休む暇もないだろう。

全員で成功を祈り僕は3人と別れた。彼らは前日に作ったアップトラックへと歩みを進め、僕はその反対方向の撮影ポイントへと歩き始めた。朝7時、Morrison’s Hotelを滑走する日が始まったのだ。前日と同じ道を歩く3人のスピードは速い。僕はキャンプより少し標高を上げて、滑走斜面の中間部と同じ標高に近づくように撮影ポイントを決めた。板を外して急斜面を登り始めた3人、僕はそこに向かってドローンを飛ばした。今回、映像も撮影するので使うカメラは3機、一眼レフを2台とドローンを一台。基本は三脚に乗せた一眼レフで映像を撮影して、残りの2機で写真撮影。やはり僕の中では写真が一番の優先なので、一眼レフでしっかりとフレーミングして写真を撮ることに集中するようにした。

9時過ぎ、1人が斜面の上に姿を現した。始まる。僕の気持ちも引き締まる。直ぐに全カメラの電池残量とメディアを確認、そしてスキーは滑走できる状態にして直ぐ横に置く。4人だけで撮影をしている場合、何かあった時に最も早く助けに行けるのは僕だけ。緊急事態に備えるのもバックカントリーでの撮影では必要不可欠である。
1人目は鹿一、慎重に滑り出し急斜面へと入っていく。初めの数ターンは気持ちよさそうには見えなかった。雪冤が舞うわけでもなく、滑るというよりは慎重に降って行く様子だった。そして切り立ったスパインの斜面に入った瞬間、鹿一のスキー板から一気に雪冤が舞い始めた。斜面に着いた雪は風の影響を受けていなく、柔らかい深雪。スパインが最も細く急になる核心部を抜けた鹿一は一気にスピードを上げて斜面にシュプールを描き、雄叫びを上げながらボトムへと抜けていった。そして直ぐに上にいる2人に無線を入れる。「It’s DEEP POWDER!!」雪のコンディションは最高だと伝え、2人にバトンを渡した。


そしてChuckとCalebが続く。Chuckは途中まで鹿一のラインをたどり、斜面中間部でスパインからライダーズレフトに抜けて沢の中へと入った。雪が溜まっているかと思いきや、氷のような斜面。滑落しそうになりながらも上手く耐えて、スパインを登り一発当て込むと大きなスプレーをあげた。そして超高速で下部をこなし、鹿一のまつ安全地帯へと滑り寄った。最後はCaleb、鹿一と全く同じラインをたどり上部のスパインを上手くこなした。そして下部の広がった急斜面ではフリーライドの大会で鍛えた業を存分に見せ、綺麗なスプレーをあげながら斜面を後にした。
合流した3人は抱き合い、チームで成し遂げたこの滑走を讃えあった。僕も全員が無事に合流したことを確認し、賞賛の無線を入れた。そして直ぐに機材をしまいベースキャンプへと戻る。少しして戻ったみんなと抱き合い、緊張から放たれた僕らは斜面に刻まれた3本のラインを見ながら「プシュッ!」という音を立てて豪快にビールを飲んだ。これまでこの斜面を登って滑ったものは誰もいない。Chuckはこの斜面を滑った初めてのスノーボーダー。Calebは雪崩事故にあって以来のビッグライン滑走。それぞれの思いが斜面に刻まれた記憶に残る1日となった。
この日、緊張から放たれた鹿一は誰よりも早く寝床につき、ChuckとCalebは一晩中飲み明かし2Lのウィスキーボトルを空にした。本当に良い1日だった。
