2回目のサンフランシスコへ

スコットのアパートはサンフランシスコのミッションストリート沿いにあった。
「今のミッションストリートは昔の治安の悪さからは比較にならないほど住みやすくなったんだよ」と教えてくれた。古着屋やレコード屋のようなおしゃれなお店と、まだ少し危なそうなにおいが入り混じるストリート。

そんなサンフランシスコでは夕方からグローブを持って野球の試合を見にいったり、ラテン系の人たちのパレードに出くわしたり、憧れだった本屋さんやコーヒー屋さんを巡ったり。(この当時のお気に入りは有名だけど「Four Barrel Coffee」と「City Lights Books」だ)

男三人、クラブでプリクラを取ったのも今となってはいい思い出だ。
(プリクラと言っても中身は証明写真の機械だったのがなんか可笑しかった)

Four Barrel Coffeeの前。路上とお店が融合してストリートを作りだす。
コロナがあってからはバンクーバーでも多くみられるようになった。

この街での僕は、通りを歩くたび、街の喧騒にふれるたび、匂いを嗅ぐたび、心が大きく揺さぶられていた。それがなぜなのかその時は言葉にできなかったけど。

たぶんそれは今思うに、この土地の人が持つ活力と路上でたまに見る絶望感、人種の多様性と一部の特権社会、自分の育った国への理解や尊敬と無理解や無意識的な差別。シリコンバレーのスタートアップとヨセミテの大絶壁。そういった相反するもののコントラストが同時に存在していることが強烈すぎたのかもしれない。

おしゃれなメガネ屋さんにしか見えないオトナ向けのトイショップで、若い女の子たちがトイを手にとっている姿は、僕がクライミングシューズを選んでる姿と何にも変わらなかった。

うん、やっぱり自分の常識となにか全然ちがう。


ひび割れるたまごから、出ていくカエル。

ある日、屋上にて。

スコットのアパートには屋上があり、僕はそこが大のお気に入りだった。
ある日そこからジョーと2人で街をなんとなく眺めていたときのこと。
(ちなみにジョーはこの時すでに帰国のフライトを逃し滞在を延長していた)

ジョーがわけもなく屋根をつたい隣のアパートの上を歩き出した。それをぼんやり見ていた僕はふと彼の昔の話を思いだす。彼とは初めてあった時から、昔の話をいろいろ聞かせてくれていた。

お気に入りだったアパートの屋上。

ジョーは18歳の時に大学進学のためにサンフランシスコにきた。
そしてバス停でタバコと引き換えに単語を教えてもらっていたことから、釣りに行った先でアクシデントが起こり、4日間ほど家に帰れなかった…などなど。
(彼の名誉のために許可なく詳細は書けないが、彼はとてもスマートでユーモアもあり話しがうまい。いつもたくさんの刺激をもらっている友人のひとりだ。)

-そうか、18歳という年だったのか。
つまり僕でいうと、冒頭に書いたニュージランドに行こうとしてた時だ。

ニュージランドでの自分を思い出し、それからその時にこの地にいる自分を想像してみる。ドキドキして胸が締め付けられる感覚が襲って来た。

どのバスに乗ればいいか分からず呆然としていたり、すぐにスリに合っていそうな自分の姿が浮かぶ。おどおどしてスーパーでの買い物もままならないだろう。
あとなぜか、2008年頃にLAのリトルトーキョーで出会った人の顔も浮かんだ。彼は色々な事情で8年ぐらい日本に帰っていない…と言っていた。


海外で暮らすって言うと楽しそうに聞こえるけど、学生でしかも一人暮らしだと、その何倍もの見えない努力と苦労が必要なんだろう。とひしひしと感じた。

もちろん当時の僕には大学進学できる学力も全然なかったし、お金や…というか、そもそもそんなアイデアすらなかった。今ですら旅は少し経験してきたけど、海外に住んだことなんてない。

「18歳の時にもしここに来てたら人生変わってたのかな」と、ふと思う。

-僕はその時29歳。

すると、なんか聞いたことがあるような言葉が頭に浮かんだ。

「人間、志を立てるのに遅すぎるということはない」
そりゃ、もちろん一理ある。

「ギターがうまくなるのを待っていたら君はおじいちゃんになってしまうよ」
と言った人もいるらしい。

その意味は少し違って、始めるのに早すぎるなんてことはない。
(正直に書くと、2つ目は完全なる後付けで、この時の自分の心境を何か言語化できないものかと、さっきググた)

そうだ今がいつも人生で最も若い日なんだと気付いたその時ー

ーパカっ。たまごのからが割れる音がした。


そうだ、ワーホリにいこう。

18歳の時にしかできないこともあれば、少しは何かを経験してきている30歳にしかできないこともあるはず。自分探しではなく、自分の培ってきたものを使おう。見たいと思うもの見て、したいと思うことをしよう。

人生経験がある分ノウハウもあるのだ。うん、この感覚は正しい。
と僕はもうすでに確信していた。